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大和郡山市 柳町商店街

 ホームページ : なし
 関連HP :
       
 柳町商店街は、近鉄郡山駅前からJR郡山駅方面への東西と柳町1〜4丁目へと続く南北とで構成されている。南北の長い通りにはカラー舗装である。歩きにくいし、バイクや自転車で走りにくいだけで何の効果があるのだろう。

 柳町商店街は大和郡山市内随一の商店街であり、奈良県下でも代表的な商店街であった。が、現在はその面影はなく、寂れた商店街の見本とも言える惨状である。特に南北にはある程度集客力のあった大型2種店舗のニチイ(シンツ)や郡山大丸、上新電機、郡山市場が無くなって一気に寂れた。また、通りが長いだけに閉店した店舗が半分以上もあると商店街としての機能は無く、営業している店舗が点在している古い通りという感じである。その上、営業している店舗も昭和40年頃から何の改装もせず朽ちてきているような店舗が多い。
 東西では近鉄郡山駅から近くて郡山駅前商店街と続いており、実質的には同じ商店街である。昔は凄い活気があったところだが、この部分も店舗が減っており買物客は少ない。
 柳町商店街は、道路の幅員が狭いにもかかわらず、裏道として通り抜ける自動車が多い。

東西(近鉄郡山駅からJR郡山駅方面へ)

郡山駅前商店街から続く

人通りは少ない

西友の裏口へ(駐輪場がある)

点滅信号の交差点

交差点を過ぎると道幅が狭くなる

商店は少なく人通りも激減
 近鉄郡山駅前から点滅信号の交差点までは昔は人で溢れていたところである。現在は店舗も少なく昔の面影は無い。昔、この部分の南側には公設市場の郡山市場があった、それが西友のヤングストリートに生まれ変わったがすぐに閉店し、現在はマンションになっている。
 この交差点から東は道路は更に狭くなり人通りも激減する。JRまで続いているが、店舗は点在し、店舗も時代を感じさせるようなものが殆どで商店街としての機能は皆無に近い。


南北(柳町大門跡から菊屋まで)

南側

人通りは殆どない

放置されているニチイ郡山店跡

人影なし

紺屋町の水路

和菓子の『菊屋本店』
 南北は柳町1〜4丁目まであり通りは長い。しかし、閉店した商店が多くて活気は全くといっていいほど無い。南側の3・4丁目は、呉服屋や洋装品店、寝装店などが多いのが特徴である。1・2丁目には和菓子の菊屋、筆の博文堂など古い町屋の店舗がいくつかある。1丁目と2丁目の間を東に入ると紺屋町があり水路が通っている。以前は整備されておらず汚い、危ない水路だったが、今は観光スポットになっている。

店舗紹介

森嘉(古代米・雑穀)

 

サンプーペー(イタリアン&ベーカリー)
 柳町商店街は通りの長さもあり店舗数はあるものの、紹介したいような店舗は少ない。和菓子の『菊屋本店』は有名で説明の必要はないだろう。
 米穀(米・古代米・雑穀)の森嘉は、創業300年以上の老舗の米穀店で、厳選した米や雑穀を販売しています。建物を町屋で手入れも行き届いています。その左側に小売の店舗があります。(写真中央が陳列の一部)
 もう一店舗は、ピザ・パスタなどのイタリア料理とインストアベーカリーの『サンプーペー』です。ここのピザは石窯を使って焼くのですがそれがメチャクチャ美味しいんです。料理も良いしパンも美味しい。ぜひ一度味わって下さい。
 森嘉とサンプーペーはお店拝見で紹介していますので詳しくはそちらを見てください。


ひとこと

 
乗降客数の多い駅があり、西友という集客力のある大型店舗があり、行政機関などもあるなど恵まれた環境の商店街であるが、他の商店街同様に衰退は著しい。この原因は、郊外部やロードサイドに商業集積が多くできたためではあるが、最大の原因は商店街全体として及び個々の店舗の努力不足に他ならない。また、市サイドの再開発の遅れ、商業軽視主義も原因である。
 現在、大和郡山市は紺屋町の水路、外堀緑地など古い街並みを整備を進めているが、観光化を目指しているのか、あるいは市民のための文化事業なのか、その目的は不明確というか中途半端なようで、何らかの効果を生むとはとても思えない。はっきり言って“箱物主義的”な再開発ではないだろうか。
 商店街の活性化=ゾーニング&商業集積という大局的な視点での商業再構築は可能であるが、既存の商店街を活性化させることは不可能に近い。


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